インターネットの誕生
シリコンバレーの半導体産業は1984年に日本の半導体産業に追い抜かれ、やがて256k DRAM市場を完全に奪われるまでに落ち込んでいった。また80年代後半から90年代初頭にかけては、テキサスなど国内の他の地域との競争にも圧迫されていた。結果としてシリコンバレーのハイテク関連企業はリストラを開始し、政府からの援助金も大幅に削減されるという危機的な状況に陥った。しかし1981年、後にシリコンバレーを救う新しい産業のリーダーとなる会社が設立された。
1981年、スタンフォードの学生であったアンドレアス・ベクトルスハイムは、大学のコンピュータ・センターに出向かなければパワフルなシステムを利用することができない環境に日頃から不満を感じていた。そんな彼はある日、ゼロックスのパロアルト・リサーチセンターで「簡単に使用できるネットワーク型のデスクトップ・コンピュータ」の研究が行われていることを知り、大いに触発された。それ以来、彼はUNIXで稼動するオープンなシステムの可能性を探究しはじめた。UNIXはAT&Tのベル研究所で開発されたオペレーティングシステムで、エンジニアや研究者の間で高い人気があった。ベクトルスハイムはスタンフォードの卒業生ヴィノッド・コースラと共に会社を設立し、同じくスタンフォードの卒業生であったスコット・マクネリー、およびカリフォルニア大学バークリー校で独自バージョンのUNIXを構築していたビル・ジョイもこの会社に加わった。ベクトルスハイムがスタンフォード大学ネットワーク(Sunet)を構築するためのワークステーションの製作を目指していた経緯から、この会社はサンと名付けられた。3カ月後に最初の製品が出荷されると、同社のNFSファイル共有ソフトウェアは即座に業界標準となり、サンはオープンシステム市場のリーダーとなった。
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