ワールド・ワイド・ウェブの時代へ
今日ではインターネットというと多くの人々がワールド・ワイド・ウェブ(WWW)のことを思い浮かべるが、実際にはWWWはインターネットの比較的新しい利用方法のひとつにすぎない。WWWのアイディアは1990年11月にスイスの研究機関CERN(欧州合同素粒子原子核研究機構)のティム・バーナーズ=リーとロバート・カイリューによって提案された「ユニバーサルなハイパーテキスト・システム」にその基礎を置いている。
WWWはハイパーテキストのコンセプトを拡大し、ネットワーク上のどんな場所からでもドキュメントのやり取りをできるようにした。これは一般にクライアント/サーバ・アーキテクチャと呼ばれるもので、ユーザは自分のコンピュータ上でWWWクライアント(ブラウザ)を使用してドキュメントにアクセスする。ブラウザはネットワークのノード上にあるサーバに接続し、必要とするドキュメントを要求する。ドキュメントの要求と取得は、クライアントとサーバ間の距離にかかわらず通常1秒以下しかかからない。
最初のブラウザは特定のプラットフォームでしか使用することができなかったため、多くのユーザを獲得するには至らなかった。その後CERNは多くのプラットフォームで使用できるラインモードのブラウザを開発したが、これはキャラクタによる表示しか行うことができなかった。こうした状況のため初期のWWWの成長は比較的ゆっくりとしたもので、1992年末の時点で約50のハイパーテキスト・トランスファー・プロトコル(HTTP)サーバが存在するに過ぎなかった。
しかし1993年、イリノイ大学の国立スーパーコンピュータ・アプリケーション・センターの学生チームが開発した「モザイク」クライアントにより、こうした状況は一変した。当初モザイクはUnixのX-Windowsのために開発されたが、マッキントッシュやウィンドウズPCのためのバージョンも相次いでリリースされた。元スタンフォード大学の教授でシリコン・グラフィックスの創設者でもあったジム・クラークは、モザイクの主要な開発者の一人であったマーク・アンドリーセンを招き、共同でモザイク・コミュニケーション、後のネットスケープ・コミュニケーションを設立した。多くの人々はインターネットを学術的で非商業的なものとして見ていたが、クラークはインターネットが将来的にデジタルデータ、音声、映像を伴った巨大なメディアに成長するであろうことを確信していた。ネットスケープ・コミュニケーションは画期的なブラウザ「ネットスケープ・ナビゲーター」を開発し、それまでになく簡単にWWWを利用することを可能にした。この年にはWWWの利用が急激に普及し、現在に至る成長の一途を辿ることになった。
このようにシリコンバレーは幾度も技術革新の波を受けながら、その技術によってテクノロジーの世界を一変させる重要な企業をいくつも生み出してきた。現在のシリコンバレーは90年代末の過剰な投資やベンチャー・ブームが引き起こした「ドットコム・バブル」崩壊の後遺症、および世界経済の停滞によるハイテク製品の売上げ不振という苦境の最中にある。しかし今この瞬間にもシリコンバレーのどこかで新しいテクノロジーやビジネスが生まれ、次の時代を牽引する力として着実に育ちつつあることは間違いない。なぜなら歴史が示すように、シリコンバレーは常に革新への意志を持つ人々を引きつけ、他のどこにもない特異なコミュニティーとして生き続けているからだ。
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